SAKAKI神社備忘録 > 神社 > 東京都の神社 > 富岡八幡宮
御祭神 |
譽田別命(ほむたわけのみこと・応神天皇) 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后) 大雀命(おほさざきのみこと・仁徳天皇) 武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと) 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 天照皇大神 常磐社神 竃神(かまどがみ) 日本武尊 |
鎮座地 | 東京都江東区富岡1-20-3 |
創建 | 寛永4年(1627年) |
社格等 | 旧准勅祭社(東京十社) 旧府社 元別表神社 |
例祭 | 8月15日 |
公式サイト |
三つ巴
永代通りから見た大鳥居。
富岡八幡宮は寛永4(1627)年、当時永代島と呼ばれていた小島に創建。
周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と居住地を開き、六万五百八坪の社有地を得ました。
江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、江戸最大の八幡様で「深川の八幡様」として親しまれています。
現在では東京十社(准勅祭社)や深川七福神の一社としても親しまれています。
鳥居をくぐって左側には、江戸時代の測量家である伊能忠敬の像があります。
伊能忠敬は、当時深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住居を構え、測量の旅に出かける際は、安全祈願のために、富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたそうです。
平成13年、縁のある富岡八幡宮に、銅像が立てられました。
いろいろな地図記号を水玉デザインしたTシャツ。
参道右側には相撲関連の石碑があります。
富岡八幡宮は江戸勧進相撲の発祥の地としても知られています。
江戸時代の相撲興業は京・大阪から始まりますが、 トラブルが多くしばしば禁令が出ていました。
その後禁令が緩み、貞享元(1684)年、幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許されます。
以降約100年間に渡って本場所が境内にて行われました。
明治維新以降は、幕府や大名家の加護を失った相撲界が、神道色を鮮明にすることで生き残りをはかったため、結びつきが強まりました。
現在も新横綱誕生のおりの奉納土俵入りなどの式典が執り行われる他、相撲にまつわる数々の石碑が建っています。
神馬
御本殿の前の狛犬。
御本殿。
上は骨董市開催時の賑わっている様子。
下は6月の大祓。
深川不動尊側の西参道の狛犬。
御本殿右奥にある横綱力士碑。
明治33(1900)年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑が建立されました。
大きさは高さ3.5メートル、幅3メートル、重量は20トンの大きな石碑です。
新横綱誕生時には相撲協会立会いのもと刻名式が行われ、新横綱の土俵入りが奉納されます。
相撲は神道にもとづき神に奉納される神事です。
現在でも祭りとして、日本各地で奉納相撲が行われています。
横綱は力士の中の最高位であり、神の依り代の証とされています。
注連縄を張るのは、御神木や夫婦岩などと同じです。
横綱力士碑からさらに奥に行くと七渡神社。
富岡八幡宮が創建される前から祀られる地主神です。
永昌五社稲荷神社。
境内には17社の末社が鎮座しています。
八幡橋を渡ると公園があります。
寝泊まりを禁じられた場所で堂々と昼寝をする猫。
後日行ってみると、傘が付いていました笑。
富岡八幡宮の例祭は「深川八幡祭り」とも呼ばれ、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられています。
3年に1度、八幡宮の御鳳輦(ごほうれん)が渡御を行う年は本祭りと呼ばれ、大小あわせて120数基の町神輿が担がれ、その内大神輿ばかり54基が勢揃いして連合渡御をします。
シンプルなデザインの神輿のTシャツ。
神輿は神様が乗るものなので、人は乗ってはいけません(子供や地域などによって例外はあります)。
それなのでデザインの一番下には、「DO NOT RIDE ON」と書いてあります。
11月には酉の市も開催されています。
御本殿もライトアップされていて、昼間とは違った雰囲気です。
東京メトロ東西線の門前仲町駅から徒歩3分。
都営地下鉄大江戸線の門前仲町駅から徒歩6分。
JR京葉線の越中島駅からは徒歩15分です。
駅からも近く、参拝しやすい神社です。
掲載情報は参拝時のものです。
最新のものではない可能性があります。