SAKAKI神社備忘録 > 神社 > 茨城県の神社 > 鹿島神宮
御祭神 | 武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ) |
鎮座地 | 茨城県鹿嶋市宮中2306-1 |
創建 | 神武天皇1年(紀元前660年) |
社格等 | |
例祭 | 9月1日 |
公式サイト | http://www.kashimajingu.jp/ |
三つ巴
「日本三大楼門」の楼門と神紋がデザインされた御朱印帳。
全国に約600社ある鹿島神社の総本宮である鹿島神宮。
鹿島神宮は香取神宮とともに、蝦夷に対する大和朝廷の前線基地でもありました。
現在の利根川下流域は、かつては香取海と呼ばれる内海で水運の中心地でした。
平安時代に神宮と呼ばれていたのは、伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の3社のみであり、古くから朝廷からの崇敬の深い神社です。
藤原氏からも氏神として崇敬され、武家政権になっても武神として崇敬されました。
写真の大鳥居は、平成23年(2011年)東日本大震災により倒壊してしまいました。
現在は境内に自生する杉の巨木を用いて、同寸法の鳥居が平成26年6月1日に再建されました。
「日本三大楼門」(鹿島神宮の他は、熊本県阿蘇市の阿蘇神社、福岡県福岡市の筥崎宮(はこざきぐう)の楼門)の鮮やかな朱の楼門。
国の重要文化財に指定されています。
寛永11年(1634年)水戸藩初代藩主徳川頼房公により奉納されました。
本殿。
御祭神である武甕槌大神が、香取神宮に祀られている経津主大神(ふつぬしのおおかみ)と共に武芸の神とされていることから、武術の道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対になって掲げられていることが多いです。
天照大御神の命を受けて出雲の国へ天下り、大国主命に国譲りの交渉を行った建御雷神(武甕槌神)をデザインしたTシャツ。
出雲の伊耶佐小浜に降り立った建御雷神は、十掬剣を波の上に逆さに突き立ててその切っ先の上に胡坐をかいて、大国主命に対して国譲りの談判を行った様子をデザイン。
本宮から奥宮へ向かって伸びる奥参道。
荘厳な鹿島の神域は好きな杜の一つです。
5月1日には流鏑馬神事が執り行われています。
鹿園。
神の使いとして親しまれています。
国譲り神話において、鹿の神である天迦久神(あめのかくのかみ)が、天照大神の命を武甕槌大神に伝えたといわれています。
常陸国風土記では「香島」と記されていた社名が、「鹿島」に改称されたのは神使の鹿に由来しているといわれています。
春日大社の創建の際は、白鹿の背に鹿島の神様を乗せて、1年かけて奈良まで行ったといわれています。
奈良の鹿は鹿島神宮の発祥とされています。
さざれ石。
奥宮。
慶長10年(1605年)将軍徳川家康公が、関ヶ原戦勝の御礼に本殿として奉納。
元和の造営の際に、こちらに遷されました。
境内の社殿の中では最も古く、こちらも国の重要文化財に指定されています。
要石。
地震を起こす大鯰の頭と尾を抑える杭と言われています。
徳川光圀公が七日七晩もの間、石の周りを掘らせたが、根元には届かなかったと伝えられています。
香取神宮は凸形、鹿島神宮は凹形。
上部が少しくぼんでいます。
御手洗池(みたらしいけ)。
神域の水を集めて湧き出ています。
誰が入っても同じ深さの池といわれ、大人が入っても子供が入っても、胸の高さを超えないといわれています(鹿島七不思議)。
以前はこちらに表参道があり、ここで禊をして参拝したそうです。
JR鹿島神宮駅から徒歩10分と駅からは近いです。
しかしJR成田線と鹿島線は本数が少なく、事前に調べて行かないと時間がかかります。
東京駅にアクセスが良いならば、高速バスがオススメです。
電車よりかなり本数は多く(令和元年12月現在)、約2時間で到着します。
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掲載情報は参拝時のものです。
最新のものではない可能性があります。