SAKAKI神社備忘録 > 神社 > 埼玉県の神社 > 久伊豆神社
御祭神 |
大国主命(おおくにぬしのみこと) 言代主命(ことしろぬしのみこと) 配祀 高照姫命(たかてるひめのみこと) 溝咋姫命(みぞくいひめのみこと) 天穂日命(あめほひのみこと) |
鎮座地 | 埼玉県越谷市越ヶ谷1700 |
創建 | 平安時代中期 |
社格等 | 郷社 |
例祭 | 9月28日 |
公式サイト | https://www.hisaizujinja.jp/ |
立葵
埼玉県の元荒川流域に分布する久伊豆神社。
久伊豆神社の分布範囲は、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党、私市党(騎西党)の勢力範囲とほぼ一致していて、古くから武士に信仰されています。
江戸時代になると、徳川将軍家が鷹狩を行うための越ヶ谷御殿があったことから葵紋の使用を特別に許可されました。
二代将軍秀忠公、三代将軍家光公は鷹狩りの際は参拝したと伝えられています。
越谷市の久伊豆神社は、越谷の総鎮守とされています。
拝殿。
例祭の神輿の渡御還御は、昔から雨の日が多かったそうです。
せめて出発と到着の時だけでも屋根の下でという事で、奥行の深い屋根があります。
寛政元年(1789年)に建造された本殿。
拝殿前の狛犬。
右半分が口を開いた「阿形(あぎょう)」、左半分が口を閉じた「吽形(うんぎょう)」をデザインしました。
足止めの狛犬。
家出や悪所通いする者に対して、家族が狛犬の足を結ぶ「足止め」をすると、必ず帰ってくると言われています。
神楽殿。
旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿。
南洋神社は、昭和15年2月11日皇紀2600年に際して、パラオ共和国コロール島に天照大御神を御祭神とする官幣大社として創建されました。
日本人入植者の信仰を集め、南方の戦地に赴く兵士が武運長久の祈りを捧げた神社として南洋群島の中心的神社となっていました。
終戦後、御社殿は御焚き上げとなり、祭祀は終結、神社は廃止になり、社殿跡地が残るのみになってしまいました。
南洋神社は久伊豆神社の本宗である伊勢神宮の分社であり、土屋義彦元埼玉県知事が遺骨収集団団長としてパラオを訪問して交流が深かったことから、遥拝殿の建立が決まりました。
竣工奉祝祭にはパラオのトミー・レメンゲサウ大統領も出席しました。
手水舎の右の御霊水。
元々は境内の湧水でしたが関東大震災後、地下の水位が下がり自噴しなくなったため、現在は地下約250~300mから汲み上げています。
境内の藤は、樹齢約200年。
県の天然記念物に指定されています。
立派な藤棚なので、藤の季節にもう一度参拝したいです。
東武スカイツリーライン「北越谷駅」から徒歩20分。
東武スカイツリーライン「越谷駅」から徒歩25分。
北越谷駅、越谷駅の両駅から路線バスもあります。
掲載情報は参拝時のものです。
最新のものではない可能性があります。